これは、福井藩医橋本長綱の5男橋本綱常が使用した「弾薬入」です。橋本長綱の5男と説明するよりも、橋本左内命の弟とご紹介をした方が解りやすいですよね。
橋本綱常は、若干18歳にして長崎で蘭学を始めとする色々な学問を修め、プロシャへ外遊し医学の知識を一層深めました。明治元年、会津征伐が始まると、軍医として、兄綱維とともに従軍します。この品はこの時使用したものと思われる品です。
その後、綱常は、東京大学医学部教授をはじめ、東京陸軍病院院長・日本赤十字病院長・貴族議員・宮中顧問官・男爵、そして、63歳で、子爵に列せられます。橋本家にあって医師として大きな功績を残したといえましょう。明治42年2月18日数え65歳で没されました。橋本家の家紋が入ったこの品。左内命との「えにし」を感じる遺品です。