秀芳館には、戦地から故郷に送られた手紙や、遺書なども数多く展示されています。今回は、日露戦争の折に戦地から送られた葉書を紹介させて頂きます。国家の名誉をかけて戦われた方々の、旺盛な士気を見ることが出来ます。
寄贈 北川吉右衛門氏(受取人は全て同氏)
差出人
◆出征軍艦常盤 高村善太郎氏
◆野戦砲兵第三連隊第三中隊 陸軍砲兵少尉 木下初作氏
◆出征第九師団第一糧食鏦列第六小隊長 小林忠貫氏
秀芳館には、戦地から故郷に送られた手紙や、遺書なども数多く展示されています。今回は、日露戦争の折に戦地から送られた葉書を紹介させて頂きます。国家の名誉をかけて戦われた方々の、旺盛な士気を見ることが出来ます。
寄贈 北川吉右衛門氏(受取人は全て同氏)
差出人
◆出征軍艦常盤 高村善太郎氏
◆野戦砲兵第三連隊第三中隊 陸軍砲兵少尉 木下初作氏
◆出征第九師団第一糧食鏦列第六小隊長 小林忠貫氏
広瀬武夫
明治の大日本帝国海軍軍人。日露戦争において旅順港閉塞作戦に従事した。撤退時に行方不明となった部下、杉野孫七上等兵曹を助けるため船内を三度捜索した後、救命ボート上で頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。
靖國神社 元宮司 松平永芳氏より納められる
東郷平八郎
日露戦争における日本海海戦において連合艦隊総司令官として大勝利をおさめる。「皇国の荒廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」とZ旗を掲げ全軍の士気を鼓舞した。
福井市下河北町 吉村政高氏より納められる
【思い出の遺品】
遺 品 紙製防寒衣袴上下
英霊名 渋谷五作命(歩兵上等兵)
御命日 明治二十八年八月十一日
大戦名 日清戦争(後備少兵第六大隊)
特 記 旧朝鮮国義州病院にて戦病死
昭憲皇太后よりの御下賜品
これは、福井藩医橋本長綱の5男橋本綱常が使用した「弾薬入」です。橋本長綱の5男と説明するよりも、橋本左内命の弟とご紹介をした方が解りやすいですよね。
橋本綱常は、若干18歳にして長崎で蘭学を始めとする色々な学問を修め、プロシャへ外遊し医学の知識を一層深めました。明治元年、会津征伐が始まると、軍医として、兄綱維とともに従軍します。この品はこの時使用したものと思われる品です。
その後、綱常は、東京大学医学部教授をはじめ、東京陸軍病院院長・日本赤十字病院長・貴族議員・宮中顧問官・男爵、そして、63歳で、子爵に列せられます。橋本家にあって医師として大きな功績を残したといえましょう。明治42年2月18日数え65歳で没されました。橋本家の家紋が入ったこの品。左内命との「えにし」を感じる遺品です。